いつも前のめり

好きなことを好きなだけ

友達じゃない女と女

最近ハマってるyoutubeがコチラ。

お笑い芸人ハリセンボンのyoutubeチャンネル。

ハマってるというか、日常のルーチーンに組み込まれたというか。

 
www.youtube.com

こういうゲスト回(これはガンバレルーヤがゲスト)なんかもあって、サムネも賑やかだし、内容もワイワイしてて楽しいんだけど、ま~~~~~とにかくストレスがない!!!!!

しかも二人のおしゃべりがやっぱりプロで面白いし、かといって「いじり」もないし、基本的には二人のしたいことをしていて本当に見ていて楽しい。

仕事中にもラジオ感覚で聞いてるくらいハマってます。

※ガンバレルーヤゲスト回は笑いすぎて涙出たくらいなので家でみて欲しい

 

そんなハマってるハリセンボンのチャンネルなんですけど、見ている中で、こんなにお互いの呼吸がバッチリ合ってるのに「友達ではない」っていうのが会話の端々に表れると不思議な感覚に陥るときがあります。

付き合いの長さからお互いの色の好みを知ってるのに、休日の過ごし方を知らないとか。

「え、そんな事も知らないの!?」みたいなことを「初耳~」みたいなコメントしてるとほんとビックリするんですよね。

こんなに息ぴったりなのに。

 

あとVlogとして、ふたりの私生活を垣間見せてくれる回もあったりするんだけど、そういう場合、それぞれに一人で、または友達と思い思いに過ごしていて、そういう休日回に二人が一緒だったことがない…。

 

仲良さそうなのに…?

みたいにちょっと不思議な感じがあったんですが、逆にビジネスパートナーでも仲良くはできるよな、みたいなのをふと思い出しました。

それの最たる描き方が、たとえばアンナチュラルのミコトと東海林さんですよね。

TBS「アンナチュラル」公式サイトからの引用写真。ミコトと東海林のツーショット。
(引用:TBS「アンナチュラル」公式サイト)

6話の「友達じゃない」で、喧嘩もするし恋バナもするし、飲みにも行くけど友達じゃなくて、仲良しだけど仕事仲間っていうあの関係。

 

そうだわ、あれだわ~ってなったあとに、私にも「仲良し=友達」っていう偏見の図式あったんだなーとなりました。

 

べつに、好感度がお互いに高くて、コミュニケーションが円滑な相手が丸ごと友達の枠に入るわけではないよな。

そして先にリンク貼ってあるガンバレルーヤのゲスト回なんかは、そんなハリセンボンの二人と、同じ屋根の下で生活してるガンバレルーヤの二人っていう、それぞれ同じ職業を持ちながら、違った関係性を構築している芸人4人のトークが炸裂していて、超おもしろかったので、超みてほしいです。

 

なんかこう、シスターフッドジャンルとかではないんだけどさ、頑張りすぎた日なんかにも、ハリセンボンチャンネルのおかげで肩からフッと力を抜けるような、そんな大好きなyoutubeチャンネルです。

これとかもね~オススメで、超真似したいって思ってる。W成人式。

youtu.be

あとすぐ影響されるから、朝ご飯も行きたいな~。

犬ってやつはさ

あっちで寝てたはずなのに、こっちで盛り上がってワッと笑い声があがると、パッと起きて輪の中心に頭をねじ込み、あたかも自分も最初からそこにいたみたいにニコニコしながら舌をだして私たちを見上げてきたりする。

パトカーのサイレンを聞いて遠吠えするときは、音のする方と私を交互に見ながら、警戒を促したりする。

私が洗面所で無防備なあいだ、玄関のある方へ向いてずっと見張ってくれてたりする。

ピンポンが鳴ると警戒吠えするけど、実は私が留守のときにはべつに吠えてないこともペットカメラで知っている。

私がワクチンの副反応で寝込んでると、ぎゅっとお尻を私の体に押し付けて、玄関や窓や音のする方を警戒しまくっていたし、起きたらベッドの周りにオモチャの祭壇ができていた。

隙あらば膝の上に乗ってくるし、あざとい目でオヤツをおねだりしてくる。その目に弱いって知ってるんだよね。

たくさんオモチャもあるんだけど、道端でひろった木の棒のほうがテンション上がって遊びまくってたりする。

春前のいまは、新芽の匂いをクンクンかいで、私よりも色濃い春を堪能しているようだ。

最初はウンチをそそくさと拾う私を不審がっていたけど、今では「どうぞ」と譲ってくれる。

美味しいごはんを食べた後は、ずっと口周りをペロペロして余韻を味わってるのがディズニーアニメみたいでかわいい。

アゴを乗せるためのちょっとした段差を見つけるのが上手で、私はしょっちゅう足を動かせなくなる。

犬、ほんとお前ってやつは、かわいくって仕方ない。

【こんまりメソッド】でサバイブするわよ

大前提として、部屋は片付いてないです。

片付いてないというか、日常が続いており、部屋の中は無風です。

 

じゃあ「こんまりメソッド」で何を仕分けているかって、部屋や物ではなく、感情と自分を取り巻く状況です。

 

※ぜんぜん明るい話じゃないし、親からサバイブしてる人にとってはフラッシュバックの可能性があります。ご注意ください。

 

 

私の「家族」というのは、世間一般で言う健全な方ではなく、どちらかといえば不健康。母親とは良好な関係を結んでいますが、それ以外はとても微妙。

なかでも、家族と健全な日々を送っていらっしゃる方に、会話の流れで普通に父親の話をして、「ごめん、言いにくいかもしれないけど、虐待されてないよね?」と気まずそうに聞かれたことが過去に2度あります。(別々の方から違う話題で)

なお、当時の私にはそのような体験の自覚はなく、ただちょっと悲しかったんだよね~と自虐エピソードとして笑いの種にしていました。けれども一つ一つのエピソードを他人として客観視すると虐待と判断するのは微妙ではあるものの、「まあまあやばいよね」と、三十代にしてようやく思うことは多々あります。

 

そんで、普段であれば関わることもなく、仲の良い母親とだけ人間関係を結んでおけば良いのですが、冠婚葬祭が関わると話も変わってくるというもの。

で、土曜日ね、あったんですよね。

弟の結婚に際しての親族顔合わせというイベントが。

 

それで数年ぶりに顔を見て口を聞いた体験と、過去にまつわるさまざまがフラッシュバックして、以降、どん底まで落ち込みました。

やばいのが、でっかい落ち込みの波が来ると、いったい自分がいま何に落ち込んでるのかなんて、まるで分かんないんだよね。

ひたすらにしんどいし、悲しいし、落ち込む。

ちなみに日曜から月曜にかけて、私の居住地域は大型の低気圧が襲っていた。たぶん、それも一因ではある。

 

少なくとも、多少なりともの収入があって、犬が居て、友達がいて良かったと心底思います。

おかげで悲しいですんでいる。

 

まあそうしてとにかく落ち込みまくって、数年ぶりに「悲しくてシクシク泣く」という、大人になるとまあまあ事件なことをやり、ひたすら犬を抱き締めた。

それから寝て起きて、火曜日になって、低気圧も去り、少し土曜日から時間的にも物理的にも距離を置いて、多少落ち着いたとき、不意に「片付けよう」と思考を転換できた。

 

そうして手を出したのが「こんまりメソッド」ってわけ。

 

こんまりメソッドについては公式にざっくりと分かりやすく1ページにまとめられていて大変有り難いので、これをぜひ見て欲しい。

▶ KonMari Methodとは - KMJ


(引用:https://konmari.jp/method/

 

すぐに「片付けよう」から「こんまりメソッド」にたどり着いたわけではない。

落ち込んだ感情をひとつひとつ切り分けて、どうして悲しいのか、なにがつらいのか、とラベリングをして分類して、仕分けたものを「さて、どうしようか」と眺めていたときに、ふと思い出したのが「こんまりメソッド」のこのフレーズ。

片づけの極意は、「何を捨てるか」ではなく、「何を残すか」。モノを一つひとつ手にとって、触れてみることが重要です。体の反応を感じて、ときめくモノは残し、ときめかないモノは手放す。こうすることで、自分にとって「持っていて幸せになる」「心がときめく」モノだけに囲まれた生活を手に入れることができます。

刺さる~~。

刺さりすぎる~~。

こんまりメソッドで片付いた部屋を見て涙する人たちの気持ちがめちゃくちゃ分かる。

こんまりさんは、整理整頓に対してこの言葉を使っていらっしゃるものの、まさしく私の状況や状態、母を除く家族との関係に当てはまるなあ、と思ったんですね。

 

そんなこと言っても家族じゃん、ってまああると思うんだけど。

私も少なからずそう思っていた部分はあったんだけど、交流はなくとも共通の知人や母を通して私ですら彼らの近況を知っているところ、一方で父や弟はまるで知らず、挙句の果てに「今って名字なんだっけ?」と顔合わせの場で聞かれてしまうと、流石に、ワハハと思うわけ。

興味なさすぎじゃん!! なんで呼んだんだ!! いや、そういう奴らだった!

って思い出すのよ。

はたして、私のこのちょっとばかり謙虚に思っていた感情ってなんだったんだ? となるのよ。

 

血縁信仰はなくとも、それでもまあ、「勝手にアサインされたものの、それなりに同じプロジェクトに取り組んで汗水流し、同じ釜のメシを一時とはいえ食った」縁はあるよね、と思っていたし、まあいうて家族ではあるし、と顔合わせに出席したこの人情。

どうしてくれる。

心ときめかない、どころの話ではない。

もう一度、こんまりメソッドを見てみよう。

 

片づけの極意は、「何を捨てるか」ではなく、「何を残すか」。モノを一つひとつ手にとって、触れてみることが重要です。体の反応を感じて、ときめくモノは残し、ときめかないモノは手放す。こうすることで、自分にとって「持っていて幸せになる」「心がときめく」モノだけに囲まれた生活を手に入れることができます。

 

そうだよね…ほんとにそうだよね。

 

私と血の繋がってない人たちのほうが、私に親切だし大切にしてくれるし、そこには私ってものへの尊重や敬意、少なくとも関心がある。

一方でだよ。血が繋がってたら蔑ろにしていいってのかい? 尊重なんてする必要ないって? そりゃあ、あんまりだよ。

失礼があってはならねえ、と色々気遣いながら駆けつけたのに、こちとら、くたびれ損じゃねえか。いやこれだって、今更だ。いつだってそうだったわ。

なんだよ、答え出てんじゃんって。

 

とりあえずさ、父親(仮)に「メシでも行こう」と8年ぶりくらい、離婚後4度目くらいに言われて、まあそれを言われた土曜日から音沙汰はないんだけどさ。

本当に連絡が来たら、「行かない」とはじめて言おうと思っている。

情も愛想も尽き果てて、もう何も残ってない。懲り懲りです。

あんなので消耗してる場合じゃないんだよな~。

 

とりあえず子供って、どんな親だろうと「呼べば来る都合のいい血縁」でないことは理解してもろて。

 

わざわざ傷つきにいく必要はないし、逃げても手放してもいい。

そうしてどうにか「ときめき」だけを残してサバイブする予定。

いろいろな普通【国際女性デー】

弟が結婚するらしい。

弟との交流はそれほどないものの、彼女がいることも知っていたし、なんとなくそのつもりでいることも知っていた。

だから結婚すると聞いたときも「そうなんだ~おめでとう~」って感じだった。

そしてありがたいことに、母も弟も「それで、お姉ちゃんはどうなの」と聞くこともない。私はただシンプルに「弟が結婚するおめでたい姉」としてだけ、その輪のなかに存在していられる。

ほんとにありがたいことです。

 

でもね、ただこうして、のほほんとしていられるのも、今のうちだけってことも理解はしているのよね。

 

というのも、近いうちに「親族顔合わせ」の食事会が催されることとなった。

これについて、私は弟から出席してねと聞いたとき、「弟にしては、そういうのちゃんとするんだな」とまず思った。

結婚式をする予定もないし、彼女も指輪より実用的なものがほしいし、旅行にいったりするのにお金を使いたい、というタイプだと聞いていたから。

でもまあ、結婚式も結納の予定もないのなら、顔合わせの場くらいはあってもいいよね、と気楽に応じていたのだけど、どうもそのセッティングに関して、実父が絡んでいるらしいのだ。

 

そう、この実父というのが、わたしの人生においての大敵であり、できれば関わりたくないと常日頃からシャットアウトしている存在である。

 

べつに犯罪歴に載るような何かをされたわけではないのだけど、もうとにかく、相性が悪い。

彼自身、なんというかその、「長女なら、長男なら、女なら、男なら」という、挙げればキリがなくもはや途方に暮れそうなほどのステレオタイプにまみれている。そして、それを子供である私や弟にも当然ながら「そう」と決めつけるタイプであった。

それはもう、なんというか、息をするがごとくで、本人に悪気なんて無い。

なにしろ彼の中では「そう」が普通なのだ。

なにより「普通」こそが「当然」だからだ。

 

だから、母と離婚したときも、本人はその立ち居振る舞い方がわからず、どうにも居心地が悪そうであった。

なにしろ、「離婚」とは普通ではないから。

私が彼を慕わないのもそうだし、大学へ行かなかったのも、フリーターをしていたのも、一人で勝手に稼いで気ままに生きているのも、もちろん、結婚しないことも「普通」だとは思っていない。

けれど、今の私の「普通ではない状態」は、そのうち「普通の状態」に戻るものだとも思っている。

 

つまり、根本的に考え方が違う。

 

そんな父なので、弟が結婚式も結納も特に考えていないことに異議があったらしく、それによって今回の顔合わせの場がセッティングされたそうだ。

 

おお、父よ。

頼むから暴走してくれるなよ、と。

 

ここにきて私は、ようやくのように「弟が結婚する」ことの意味をよくよく理解するにいたった。

これはつまり、弟のパートナーとなる方が、私や私の父と親戚関係になるということでもある。

 

おお、父よ。

これまで、「ことごとく合わない相手である」と放置していてすまなかった。

これからも交流していくことは恐らく無いが、少なくとも、新しく私の義妹となる方を守る盾にはなれるだろう。

 

ならば、父よ。刮目せよ。

2024年に「普通」に生きる女の有様を、とくと浴びるがいい。

あなたの「普通」のなかでどうにかこうにか息をしていた子供はもうどこにもいないのだ。

 

 

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ここから少し話は違うんですが、私は日常的にいくつか寄付をしています。

毎月定額もあれば、スポットもあったり。

そのうち、毎月定額の寄付先のひとつがこちらの「プラン・インターナショナル」です。

そしてこちらの「スポンサーシップ」で支援しているエクアドルの女の子が、小学校に通い始めました。

うれしいことです。

 

また、こちらの特徴として、「ガールズプロジェクト」という支援の形があります。

こちらにも寄付をしています。

するかしないかは一旦置いておいて、良ければこちらの支援内容と、こういった形の支援が必要な理由について、【国際女性デー】という日に見てもらえると嬉しいです。

www.plan-international.jp

整理整頓困難女【セルフケア……ってヤツ!?】

マジで片付けってものが苦手なんですよね…。

ほんとに…。

ゴミが溜まってるとか不衛生というのは生理的に無理なのでそういうのではなく、この片付けっていうのは「整理整頓」のことです。

逆に言えば、整って無くても汚くなければいい、みたいなところがあって…。

たとえば洗濯なんですけど、うちは部屋干しを採用しておりまして、窓際なら夜に干せば翌日の昼くらいには乾いてるんですね。

なので、もう夕方にはそれらを畳んで仕舞って、部屋干し用のラックも仕舞えば窓際広々と使えるわけ。

でもこの、乾いた衣類を「畳んで仕舞う」っていうのがめちゃくちゃむずい。

そこから着ていくとか平気でするし、次の洗濯までラックごとずっとそこにあったりする。

絶対片付けたほうがいいのに。

そもそも、「視界に物が多い」という状況が、脳内多動症ぎみの私にはよくないという自覚もあるんだけど、まじでこの片付けがむずい。

シンプルにめんどいな…となる。

たぶんこれは視界に片付けるべきものが多い=タスクが山積している=パニック/思考停止、という一つのヤバさなんだけど、とりあえず置いといて…。

ジャンルでいえば同じカテゴリー内にある「掃除」とかもまあメンドくさいのは同じなんだけど、コレに関しては「不衛生が無理」という生理的な嫌悪感が、面倒くさいという感情を圧倒的に上回るおかげで毎日がスムーズに回っている。

じゃあこの生理反応を利用できない片付けをどうするかということなんだけど、最近になって、ふと「いま面倒くさい/イヤなことは、明日の私も面倒くさい/イヤだよな…」という当たり前のことに気がついた。

いやまあ、それはそう。

というやつなんだけど。

私の性格が明日変わるわけでもないし。

でもこの、「明日もどうせ嫌だよな」と認めるというか、自覚できたのが結構大きくて、「明日やるかも」という淡い期待を木っ端微塵に打ち砕いてくれた。

いや、今日やらんのだから、明日もやらんて。

よほどの事がないかぎり、日常が続くならやらんのよな、マジで。

逆に、そういう自分への信頼はめちゃくちゃある。

今日やらなかったものを、明日のわたしも絶対にしない。

 

それで、そんな私にとって、この気づきがどうなったかというと、

打ち砕かれた淡い期待は潔い諦めとなって、明日の自分をいたわる今日の行動へとつながった。

 

「いまできることは今やる」とか「30秒で行動できることは先に着手する」とか「先延ばしにするな」とか、わかってんの!しってんの!知ってて理解しててできない、っていう大人だったわけ!

 

でもなんかこの、明日の自分への共感というのが、ほんと自分にはよく効いた。

 

いやわかる、ほんとやだよな…明日だってやだよな…。

まあ、じゃあさ、私が今日のうちにこれやっとくからさ、他のことは明日頼むわ。

 

っていう。

たぶんこれ、セルフケアっていうやつなのかな。

「自分をいたわる」っていうご自愛って、ゆっくりお風呂に入るとか、好きなお菓子を食べるとか色々あるとおもうんだけど、この「自分に共感する」というのも、ひとつのセルフケアだな、っていう学びでした。

 

なんか、似た人がいたら参考になると嬉しいよ。

しんどいよね……片付けとか。いろいろ。人生。